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      <title>彩花の整形計画</title>
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      <description></description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2009</copyright>
      <lastBuildDate>Thu, 17 Dec 2009 09:41:06 +0900</lastBuildDate>
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         <title> 段々畑</title>
         <description><![CDATA[瀬戸内海に浮かぶ離島は耕作可能な平地も少ないことから、住民たちは山を開墾して段々畑を作ることが多かった。しかしこうして開墾された段々畑は土壌が痩せていることが多かった為、農民たちは下肥や海藻を人力で運び上げて施肥し、土壌を改良していった。一般に、開墾してからまともな作物が収穫出来るようになるまでに10年かかるとされた。
島内の山を全て開墾しつくした後には、近くにある島に渡ってそこで開墾を行うこともあった。こうして別の島に農地を持つことを「出作」「出作り「渡り作」などと呼んだ。農民たちは出作用の小さな木造船（農船）を手に入れ、それで農地を持つ島まで行き来していた。
このようにして開墾された段々畑は、第二次大戦後、多くが柑橘類の栽培に転用された。日照と水はけに優れた段々畑は、糖度の高い柑橘の栽培には適していた。しかし段々畑での農業には非常に手間がかかることから、近年、耕作放棄地が増加しつつある。

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瀬戸内海沿岸の気候は綿花栽培にも向いていた為、江戸期には各地で綿花栽培が行われた。特に綿花栽培が盛んだったのは河内地方、播磨地方、岡山平野、福山周辺、広島周辺、観音寺周辺などである。しかし明治期に海外産の良質な綿が輸入されたことで、これらの地域の綿花栽培は衰退した。
18世紀末に日本に移入されたシロバナムシヨケギク（除虫菊）は、20世紀に入ると広島県で盛んに栽培されるようになり、島嶼部も含めて第二次大戦後まで除虫菊栽培は農業の中心となった。

瀬戸内海沿岸は古代より製塩が盛んな地域である。弥生期には吉備地方で土器に海水を入れて煮詰める製塩が始まり、奈良期には砂浜を使う「塩尻法」へと移行する。中世にはこれが揚浜式塩田に移行、更に17世紀前半には姫路藩で入浜式塩田が使用されるようになり、瀬戸内海は製塩の中心地となる。この時期の瀬戸内海産の塩を「十州塩」とも呼んだ。]]></description>
         <link>http://www.tewreg.biz/2009/12/post_37.html</link>
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         <pubDate>Thu, 17 Dec 2009 09:41:06 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>オナガガモ</title>
         <description><![CDATA[オナガガモ（尾長鴨） は、カモ目カモ科カモ亜科に分類される鳥類の一種である。北半球に広く分布する大型のカモで、名前通りオスの尾羽が長いのが特徴である。
ユーラシア大陸の北部と北アメリカ北部の寒帯から亜寒帯にかけての地域で繁殖し、冬季はユーラシアおよび北アメリカの温帯から熱帯地域やアフリカ北部に渡り越冬する。カモ類の中ではマガモ、コガモ、ハシビロガモに並んで分布域が広い。

日本では全国に冬鳥として多数渡来する。
全長はオス61-75cm、メス51-57cm。翼開長は80-95ｃｍ。マガモよりもわずかに大きい。他のカモより比較的首と尾羽が長くスマートな体型をしている。オスの方が大きいのは、もともとオスの方が大きいのに加え、尾羽の中央2枚が10cmほども細長く伸びることによる。

オス成鳥は頭部が黒褐色、首から胸、腹まで白色で、その境界では白い帯が首の側面から後頭部に切れこむ。体は黒い横しま模様が細かく走る。背中に蓑のような黒い肩羽があり、翼と尾も黒いが、腰に黄白色の太い帯が入る。また、くちばしは中央が黒くて側面が青灰色をしている。メスは頭部は褐色、その他の部分は黒褐色に淡褐色の縁取りがある羽毛に覆われ、全体的に黒褐色と淡褐色のまだら模様に見える。くちばしは全体が黒い。
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なお非繁殖期のオスはメスによく似たエクリプスに変化するが、くちばし側面の青灰色が残るので区別できる。

その他メスが雄化した個体や、他のカモ類との雑種（同属のマガモ・コガモ・トモエガモ・ヒドリガモなどとの）とのもまれに記録される。
越冬地では湖沼、河川、海岸などに生息する。群れを形成する。日本では、各地のハクチョウ渡来地において、ハクチョウ類の周囲に多数群がっているのが観察される。

食性は雑食性で、植物の種子や水草、貝類などを食べる。]]></description>
         <link>http://www.tewreg.biz/2009/12/post_36.html</link>
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         <pubDate>Tue, 01 Dec 2009 04:18:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>日露戦争では</title>
         <description><![CDATA[日露戦争では戦艦同士の大規模な戦闘が行われ、その戦訓を元に弩級戦艦が作られた。またロシア海軍はこの戦争で大敗し、海軍拡張競争から脱落してゆく。

第一次世界大戦では、大艦隊を有するイギリス・フランス・アメリカとドイツが戦った。第一次世界大戦における海軍の主な戦いは、ドイツの潜水艦による通商破壊とそれに対する対潜作戦であった。水上艦艇による大規模な艦隊決戦は回数は少ないが、南米と北海で何度か行われた。また航空機が戦闘に使用され、航空母艦が整備されるようになった。
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第一次世界大戦中もイギリスは大規模な建艦を続け、大戦終了時には他の国とは比較にならない大規模な艦隊を有していた。大戦で敗れたドイツは海軍を大幅に縮小され、フランスも国力が疲弊し新規建造は減少した。第一次世界大戦後はイギリスが艦隊を縮小し、大戦の影響の少なかったアメリカと日本が大建艦計画を始めたため、この3カ国が大海軍国となった。日米の大建艦計画は経済的負担が大き過ぎ、1920年代に建艦競争を一旦中止するワシントン軍縮会議とロンドン軍縮会議が行われ、1930年代末まで主力艦の建造は中止された。この期間をネイバル・ホリデー（海軍休日）と呼ぶ。

ネイバル・ホリデー後、各国は主力艦の建造を再開し、すぐに第二次世界大戦が始まった。この戦争で戦艦は主力艦の座を航空母艦に譲った。また大西洋では再度潜水艦と対潜部隊の大規模な戦闘が行われた。太平洋では、空母機動部隊同士の戦闘が行われた。]]></description>
         <link>http://www.tewreg.biz/2009/11/post_35.html</link>
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         <pubDate>Fri, 27 Nov 2009 15:56:44 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>全40巻</title>
         <description><![CDATA[全40巻。現存流布本で全40巻だが、16世紀の時点で巻22は既に欠落しており、前後の巻より素材を抜き出して補完しているものと考えられている。内容は3部構成で、後醍醐天皇の即位から鎌倉幕府の滅亡を描いた第1部（巻1?11）、建武の新政の失敗と南北朝分裂から後醍醐天皇の崩御までが描かれる第2部（巻12?21）、南朝方の怨霊の跋扈による足利幕府内部の混乱を描いた第3部（巻23?40）からなる。前述の「巻22の欠落」であるが、現在伝わっている伝本の中で巻22を立てているものでも内容そのものは巻23?24の記事を使用しているので結論的に巻22は欠巻ということになる。その原因としては、天皇や武家方に対して不都合なことが書かれていたので削除したと考えられているが現在のところはっきりしていない。

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全体の構想にあるのが儒教的な大義名分論と君臣論、仏教的因果応報論が基調に有り、宋学の影響を受けたとされる。この考え方にもとづき、後醍醐天皇は作中で徳を欠いた天皇として描かれるが、水戸光圀は修史事業として編纂していた『大日本史』において天皇親政をめざした後醍醐こそ正統な天皇であると主張した。これにより足利尊氏は逆賊であり南朝側の楠木正成や新田義貞などは忠臣として美化され（徳川将軍家は新田氏の末裔を称していた）、これがのちに水戸学として幕末の尊王攘夷運動、さらに太平洋戦争前の皇国史観へと至る。

中盤の後醍醐天皇の死が平清盛の死に相当するなど、随所に『平家物語』からの影響が見られ、また時折本筋を脱線した古典からの引用も多く、脚色も多い。]]></description>
         <link>http://www.tewreg.biz/2009/11/40.html</link>
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         <pubDate>Fri, 13 Nov 2009 13:55:25 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>電磁場</title>
         <description><![CDATA[電磁場（でんじば）は、電磁界（でんじかい）ともいい、ベクトル場である電場（電界）と磁場（磁界）の総称。

電場の強さ・電束密度や磁場の強さ・磁束密度が時間的に変化する場合には、互いに誘起しあいながらさらにまた変化してゆくので、まとめて呼ばれる。電場・磁場の値が0でなく、時間的に一定の場合は、静電場・静磁場として別々に扱われる。電磁場の変動が波動として空間中を伝播するとき、これを電磁波という。

電磁場のふるまいは、マクスウェルの方程式および量子電磁力学(QED)によって記述される。 マクスウェルの方程式を解いて、電磁場のふるまいについて解析することを電磁場解析と言う。
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電磁場中に荷電粒子が存在する場合に蓄えられる電磁気的なエネルギーは荷電粒子がもっていると考える（遠隔作用）ことも出来るが、周囲の電磁場がエネルギーを蓄えていると考える（近接作用）ほうがより現代的である。

静的な電磁場においては、遠隔作用と近接作用に大きな違いは無い。遠隔作用と近接作用の違いが生じるのは電荷や電流の分布が変動し、その影響が周囲にどのように伝わるかを考えるときである。]]></description>
         <link>http://www.tewreg.biz/2009/11/post_34.html</link>
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         <pubDate>Mon, 02 Nov 2009 01:57:14 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>家庭</title>
         <description><![CDATA[家庭（かてい）とは、生活を共にする夫婦・親子などの家族の成員で創られていく集まり、および家族が生活する場所を指す。

家庭は、人間が形成する社会の最小単位である家族と、これが生活の中心とする場を内包する概念であり、主に家（家屋）と不可分である。しかし「家」という容器を持たず・あるいは一般には家と認識されないその他のものに居住する家族もあるため、家庭そのものが「家」という容器に依存するかどうかは、その家族が属する文化にもより一概には言えない。また個人の価値観の中には、家族としてペットなど人間以外を挙げ、このペットとの生活を共有する場所を「家庭」の範疇に含めるなど、定義の揺らぎが見られる。
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やや逸脱的なケースを除外して一般論的に日本語に於ける家庭を定義すると、「個人が家族と生活を共有する場」である。家庭は個人の心情風景に内在し、この感覚を共有できる他人が家族である。人間は社会的動物であり社会に依存したり働き掛けて存在しているが、その上で家庭はこういった人間の性質に求められて存在している。

単に一緒に住むだけでは不十分である。そこで生まれてきた子どもにとっては、家庭は「第二の子宮である」という人もあり（井上ひさしの『吉里吉里人』など）、常に火宅（檀一雄）という人もある。]]></description>
         <link>http://www.tewreg.biz/2009/10/post_33.html</link>
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         <pubDate>Fri, 23 Oct 2009 15:45:25 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>人類学の先駆者のエドワード・バーネット・タイラーは</title>
         <description><![CDATA[人類学の先駆者のエドワード・バーネット・タイラーは、文化が全ての社会において重要な一部分であり、同じく進化の過程の適用を受けていることを指摘して、世界的に文化の発展に焦点を合わせた。彼は社会が文化的な開発の異なった段階にあり、人類学の目的が、基本の始まりから近代的な状態まで、文化の発展を再構築することであったと信じたのである。

フェルディナント・テンニースは、正式でない社会からの発展を革新と描写する、そしてそこの人々は多くの自由を持ち、そしてそこでは近代的な、正式の理性的な社会や、慣例と法律によって独占されるほとんど法律と義務は無く、望むとき、演技から限定されています。すべてのより小さい社会が一つの、大きい、近代社会に吸収されるとき、彼は同じく標準化と統一の傾向があることを指摘する。それでテンニースは今日グローバル化として知られている過程の一部を記述すると言うことが出来る。彼は、同じく社会の発展が必ずしも正しい方向に入っていない、社会の進歩が完璧ではないと主張する最初の社会学者の1人であった、彼によると、社会の課程は不完全であり、新しいものの後退と呼ばれさえすることができる。それは、高いコストを支払った後で、社会を作り上げている個人的な満足の減少の結果である。とした。

一般的に、社会文化的進化論者としては扱われなかったマックス・ウェーバーはの理論は、権限を3部からなる分類の理論は同様に進化論だと見なされることができる。彼は、政治的指導力、支配と権力の3つの理想体型を区別した。(家族や、宗教的な)カリスマ的な支配。(総主教、新国家主義、封建制)の伝統的な支配、家と法律上の合理的な支配(近代の法律と国家、官僚制)。 彼は又、合法的な支配が最も進歩しており、その社会は、主として伝統的でカリスマ的な権力から、主として理論的で合法的なものに発展すると指摘している。　
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 批評と近代の理論に対する影響 [編集]
20世紀初めは、体系的な危機的な試験と社会文化的進化の多系理論の全面的な一般化の拒絶の期間の幕開けであった。文化人類学者のフランツ・ボアズ、と彼の学生たち(ルース・ベネディクト、マーガレット・ミード)　は、典型的に人類学の古典の社会進化論の批判のリーダーと見なされました。洗練された民族誌やより苛酷な経験的な方法を、思弁的なスペンサー、タイラーとモーガンの理論は系統的な民族学のデータを誤り伝えたと議論するために用いた。進化の「段階」に関しての理論が特に錯覚として批判された。さらに、彼らは、いわゆる旧式の現代社会がちょうど同じぐらい多くの歴史を持って、そして、いわゆる文明的な社会として、同じぐらい進化していたことを指摘して、「原始的」と「文明的」の間の区別（あるいは「近代的である」）を拒絶して、いわゆる原始の一時的な社会は多くの歴史があり、それは文明がある。つまり文明化したことななる。従って（彼・それ）らはこの理論を読み書きをしない(non-literate)（すなわち歴史の書類を残さない）民族の歴史を再構築するために使うどんな試みでも完全に思弁的で、そして非科学的であると論じました。 彼らは、典型的に近代的なヨーロッパのそれとまったく同じの文明のステージで終わった仮定された発展が自民族中心的であると述べました。 彼）らは同じく理論が、実際文化的な特徴と形式がしばしば社会の境界線を越えて、そして多くの異なった社会の間で放散するとき、社会が明らかに境界があって、そして別であると想定する（そしてそれで変化の重要なメカニズムである）ことを指摘した。 ボアが思弁的な成長段階よりむしろ実際の文化的な、そして歴史的な過程を識別するために生まれつきの民族の間で実地調査に集中した文化の歴史アプローチを導入した。この「文化の歴史」アプローチは20世紀の前半にアメリカの人類学を独占して、そしてそれでレベルが高い一般化と「制度設定」が過去にずっと少ししか普通にならなかった他の人類学に影響を与えた。

]]></description>
         <link>http://www.tewreg.biz/2009/06/post_32.html</link>
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         <pubDate>Mon, 22 Jun 2009 10:50:09 +0900</pubDate>
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         <title>秩禄処分（ちつろくしょぶん）は</title>
         <description><![CDATA[秩禄処分（ちつろくしょぶん）は、明治政府が1876年に実施した秩禄給与の全廃政策である。秩禄とは、華族や士族に与えられた家禄と維新功労者に対して付与された賞典禄を合わせた呼称。

江戸時代後期の1867年に15代将軍の徳川慶喜が大政奉還を行い幕府が解体され、王政復古により明治政府が成立する。明治政府は抵抗した旧幕臣らとの戊辰戦争における戦費などで発足直後から財政難で全国3000万石のうち800万石を確保できているのみであり、また軍事的にも諸藩に対抗する兵力を確保できなかったため、旧大名による諸藩の統治はそのまま維持された。

江戸時代の幕藩体制において、諸藩の家臣は藩主が家臣に対して世襲で与えていた俸禄制度を基本に編成、維持されていたが、明治後も俸禄は家禄として引き継がれ、士族などに対して支給されていた。年に行われた維新功労者に対する賞典禄の支給により74万5750石、20万3376両の出費となり、華士族に対する家禄支給は歳出の30パーセント以上を占めていた。

明治政府の中央集権化など改革を行うに際しての財源確保のため、禄制改革が課題の1つとなっていた。また、四民平等においては武士階級の身分的特権は廃止の必要があり、軍事的にも伝統的特権意識は軍制改革において弊害となっていた。

政府は諸藩に対する改革の指令を布告し、財政状態の報告と役職や制度の統一が行われ、旧武士階級は士族と改められた。1869年には大久保利通、木戸孝允（桂小五郎）らの主導で版籍奉還が行われ、家禄は政府から支給される形となり、禄制は大蔵省が管轄することとなる。1870年には公家に対する禄制改革が実施される。
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1871年4月には廃藩置県が実行されて幕藩体制は解消、全国の士族は政府が掌握する。10月には幕末に諸外国と結ばれた不平等条約の改正（条約改正）などを目的とした岩倉使節団が派遣され、留守政府において禄制改革は行われた。大蔵卿大久保利通に代わり次官大輔の井上馨が担当し、地租改正と平行して井上は急進的な改革を提言する。井上の改革案は大蔵少輔吉田清成を派遣して使節団に参加している大久保や工部省大輔の伊藤博文に報告を行うが、急進的な改革案に対し岩倉具視や木戸孝允らは難色を示し、審議は打ち切られる。一方で、留守政府においては1871年には禄高人別帳が作成されるなど、多元的であった家禄の支給体系の一律化が進む。

禄制改革をはじめとする留守政府の政策に対しては反対意見も存在し、農民一揆なども勃発していた。また、留守政府では旧薩摩藩士で参議の西郷隆盛らが朝鮮出兵を巡る征韓論で紛糾しており、薩摩士族の暴発を予防策として家禄制度を維持しての士族階級の懐柔を行うべきであるとする意見も存在していた。1873年1月には徴兵制の施行により家禄支給の根拠が消失する。

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         <pubDate>Fri, 05 Jun 2009 09:21:34 +0900</pubDate>
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         <title>一貫して輝政であったとされるが</title>
         <description><![CDATA[一貫して輝政であったとされるが、吉田城主時代は照政である。 
口数の少ない寡黙な人物だったといわれる。 
妻の侍女が「当家が繁栄したのも姫君の甲斐があってこそ」と発言したのを、妻の前では叱責しておき、後になって、その侍女を呼び寄せ「自分の出世には多分に妻の七光りによるところなのは理解しているが、それを聞いて彼女が付け上がり、夫婦仲が悪くなっても困るから妻の前では、それを言うのは止めて欲しい」と言った。 
身長が低いのがコンプレックスであったが、それを酒の席でからかわれた際に、即興の歌と舞で軽くいなした。 

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家康から命じられた、岐阜城攻めで、福島正則と激しい功名争いを演じたが、実際には一番乗りの手柄を上げたにも関わらず、あっさりと功を譲って、同時に城を落としたことにした。 
家康の娘・督姫を娶った際、伏見の徳川屋敷を訪れた輝政は「長久手の戦いでわが父を討った永井伝八郎なる者はこの席におりますや否や?」と聞いた。家康が「末座に控えています」と答え永井を輝政の前に進ませると、輝政は「父の最期を聞かせてほしい」と頼んだ。永井が物語りした後、輝政は「この者の身上はいかほどにござりまするや?」と聞き、「5000石にござる」と答えると、輝政はみるみる不機嫌な顔つきになった。一同は輝政が仇討ちするのではと肝を冷やしたが、輝政は「父の首はたったの5000石ですか…」と嘆息したという。この件が直接の原因かは定かではないが、永井家はその後7万2000石を拝領する事になった。 
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         <pubDate>Fri, 01 May 2009 12:23:20 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>男系原理の由来 </title>
         <description><![CDATA[皇位継承を男系皇族のみに限定するという不文律が、日本でいつごろ、どのようにして成立したのかはよく分かっていない。記紀やその他歴代天皇の故事を伝える歴史書にも、「なぜ男系でなければならないのか」という問題への回答は「そうあるべきであるから」というものばかりである。

娘に家の継承を認めないという中国を発祥として朝鮮経由で渡来した家父長的氏族制度の影響もあるだろうが、それだけですべてを説明することはできない。中国の歴代王朝では男系女子の王や皇帝が一人も現れなかった（武則天は唐を断絶させて新王朝である武周を興しており、唐の歴代皇帝には含まれない）が、朝鮮では新羅において男系女王が3人即位しているなど、日本と中国の間だけでなく、中国と朝鮮の間でも若干の相違があるためである。

旧皇室典範がはじめて男系の継承原理を成文法とし、現在の皇室典範もこれを踏襲したが、戦前も戦後も政府としての公式解釈は存在していない。半官の逐条解説書『皇室典範義解』も、旧皇室典範第1条の男系継承規定について「皇家の成法」「不文の常典」であるとするのみである。

ただし、多くの王朝がそうであるように日本の皇統もまた、これまでに何度も皇族男子の不足から断絶の危機に直面している。男系継承を固守するよりも女系を容認した方がはるかに容易な場合もあったにもかかわらず、時の朝廷や幕府は常にこれを強力に拒否し、男系継承の維持を選択してきた。

その理由は、記紀神話における「天壌無窮の神勅」に求めることができる。すなわち「男系継承は神代、初代神武天皇以前から定められていた掟であり、一貫して続いてきた伝統である」という認識である。そのため男系でない「万世一系の皇統に属さない女系天皇は天皇といえず、皇祖皇宗（アマテラスや歴代天皇の霊）からも天皇として認められない」という神話的な理由ではないかと考えられる。

このような視点から男系護持論者の中には、「女系天皇の容認論は、天皇制廃止のための布石ではないか」と述べて女系容認論を非難する者もいる。実際、女系を認めた場合は男系で継承する王朝交代の原則に従い、前述した通り次々と王朝が交代し、現皇室との関係は年を追って薄れていくことになり、この懸念が肯定されることとなる。

諸外国の例としてイギリス王室について述べると、ハノーヴァー家の男系女子であったヴィクトリア女王の死をもってハノーヴァー朝は終わり、後継者エドワード7世は父アルバート公の出身家系によりサクス＝コバーグ＝ゴータ（ザクセン＝コーブルク＝ゴータ）を家名としたが、これは王朝交代と看做されている。また現在の皇太子チャールズは即位した場合、母エリザベス2世の家名ウィンザーは残すものの、父エディンバラ公フィリップの出身家名であるマウントバッテン（起源はフィリップの母方の姓）との複合姓でマウントバッテン＝ウィンザーに家名を改めることを公表している。

 欧州王室との相違 [編集]
ヨーロッパの王室は日本の皇室とは歴史的背景等が異なるので同列には並べられないが、ここに相違点を以下に挙げる。

かつてヨーロッパの多くの国では、王位を男系男子のみに継承させていた（男系女子を排除する点で日本と異なる）。これは、サリカ法典やその影響を受けた部族法などにおける男子のみ土地を相続するという規定が、後世に王位継承法として援用されたためである。キリスト教圏は一夫一妻制なので、どの国でも歴史上、男系男子の断絶により女系の王族が即位し、新たに王朝を開くということがしばしばあった。そのため、少なく見積もってもほぼ1500年は確実に系譜を辿り得る日本の皇室のような王朝は、約800年にもわたってフランスを統治し、現在もスペインを統治しているカペー朝の男系一族を例外として存在しない。 
キリスト教の影響で側室を認められていなかった。さらに王の妾の子供は私生児であるため王位継承権は存在しない。このため男系男子のみに継承させる制度自体がキリスト教国においては不可能に近い。日本においては側室が認められていたので叔父や甥まで含めると男系男子が多数存在しその維持に問題が存在しなかった。 
ヨーロッパでは男系であれ女系であれ、代々王族同士（他国の王族ないしこれに準ずる有力貴族を含む）の間に生まれた嫡子のみに王位を継承させていた。王族の国際結婚が盛んで、父が他国の王族であっても血縁は繋がっていることが多かったため、女系による王朝交代が円滑に行なわれたのだとする説もある。しかし古来日本の皇室では、皇位を継承するためには父のみ皇族であればよく、皇族男子と藤原氏など臣民女子との間に生まれた子が即位した例はきわめて多い。極端な例では、母が全くの庶民の出である第119代光格天皇なども存在する。このような例は貴賎結婚に極めて厳格だったヨーロッパの王室ではあまり見られないことである。 
神話の人物を祖先としているのは日本の皇室のみであるとされることがあるが、古代ヨーロッパでは同様にギリシャ神話や北欧神話の神々を祖先とする王族がいた。これらが現在に続いていないのは、王族が滅亡したり、キリスト教に改宗することでそれぞれの神話を捨てたからであり、皇室のケースが特異なわけではない。 
20世紀後半に入ってから、ヨーロッパの君主国のほとんどが男系女子や女系（父は臣民でもよい）にも王位継承資格を与えるようになったが、このような改革の多くは「男女平等」をその理由とし、必ずしも男系男子の不足とは関係がない。ただし以前のように、嫡子が姉ー弟の場合は弟の継承権が先のままの所もある。一例として、イギリス王室は直系男長子優先の継承順位であるため、継承順位は、エリザベス女王の第2子アン王女よりも、第3子ヨーク公の方が継承順位は上で、ヨーク公が4位、アン王女は弟王子2人とその家族よりも下の10位である。 

 現代の皇室と女系天皇 [編集]
皇室には1965年の秋篠宮文仁親王誕生から2006年の悠仁親王誕生までの41年間、皇室から男子が生まれなかったため、将来において皇統が断絶するのではと危惧されていた。そのため、継承原理を改変して女系継承を容認すべきとする意見もあったが、時間的余裕がでたのではないか、とされている。しかし、男系論者、女系論者とにも皇位継承問題と皇族についての議論を続けていくことで認識は一致している。

東宮家の敬宮愛子内親王や秋篠宮家の眞子内親王、佳子内親王などは、いずれも父方のみを辿って天皇に行き着く男系女子の皇族である。しかし、彼女らが将来一般国民の男子と結婚して子を産めば、その子は性別が男であれ女であれ、父方のみを辿って天皇に行き着かないため女系となる

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         <pubDate>Fri, 17 Apr 2009 10:56:30 +0900</pubDate>
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         <title>奈良時代に律令に定める本来業務を行っていた陰陽師</title>
         <description><![CDATA[津守通（津守連通） つもりとおる （つもりのむらじとおる） ? - ? 
<a href="http://mixin.7j7ayi.info/">キーワ</a> <a href="http://www.hu6y6i.net/">マラガ</a> <a href="http://tkwjb.2ihazs.info/">エンドロ</a> <a href="http://xupzd.whinzh.info/">せきがく</a> <a href="http://www.hgnbcf.info/">ゆずりは</a> <a href="http://www.ii9mr2.com/">シリアス</a> <a href="http://mjdd.23z5s9.com/">パンパ</a> <a href="http://xanh.sd96aj.org/">ミント</a> <a href="http://guimf.nb6hd5.net/">春紫苑</a> <a href="http://jmpi.slfgjn.info/">ヒッピ</a> <a href="http://jwnx.t2r6z6.biz/">マスタ</a> <a href="http://rdux.9ei3an.info/">ビューロ</a> <a href="http://kcbkk.mt4ysf.biz/">シーア</a> <a href="http://fwtm.4dbj8e.org/">ネーム</a> <a href="http://whrm.ewbugd.org/">たこあし</a> <a href="http://afwyh.6eps6w.org/">スミス</a> <a href="http://bjshy.ax2dxu.org/">ビリティ</a> <a href="http://umtyn.5a42r9.com/">ニッパー</a> <a href="http://jukue.5kfm8s.info/">パンチ</a> <a href="http://ydkr.iljaaa.org/">メチエ</a> <a href="http://mcdm.mh9uw3.info/">マフラー</a> <a href="http://frmk.yynmie.biz/">ガビアル</a> <a href="http://rifgp.w6tjwp.biz/">きがん</a> <a href="http://babn.jn9nu9.biz/">デュープ</a> <a href="http://rdasm.kfedhz.biz/">ナップ</a> <a href="http://emati.4ps42h.info/">キーポイ</a> <a href="http://umwfb.tpix5z.net/">うぐい</a> <a href="http://rbxmj.zcw556.biz/">ラティーノ</a> <a href="http://ecmbg.jud26k.info/">テキスト</a> <a href="http://www.s7zgww.net/">キミと僕</a> <a href="http://gecxh.wgt6rh.com/">サイトリー</a> <a href="http://gbrcm.3bsrz9.com/">バーミュ</a> <a href="http://www.psfm4i.org/">マティ</a> <a href="http://sscp.8h3rtj.org/">たいこう</a> <a href="http://cxkhs.6fb4b3.info/">トトス</a> <a href="http://iazpf.64cd35.net/">フォーク</a> <a href="http://zgga.bsr7ii.biz/">ジンキケロ</a> <a href="http://yzunx.hxd3m5.org/">バランス</a> <a href="http://kwmcc.hgfia9.info/">フラッペ</a> <a href="http://cwwy.4zyk8k.info/">ルネサ</a> <a href="http://wadys.x4pp6r.com/">シンシティ</a> <a href="http://krhbe.2g9pfm.info/">メリット</a> <a href="http://urkei.t3en4k.biz/">トーン</a> <a href="http://gewyi.ack2zf.org/">ファントム</a> <a href="http://dnhxk.cdypf8.com/">ジャングル</a> <a href="http://bnydd.yr8x3u.info/">エレジー</a> <a href="http://rdpht.cs9fs5.com/">タンク</a> <a href="http://gbws.zipd3k.biz/">タール</a> <a href="http://wgxdy.97gzfc.com/">光夜宴</a> <a href="http://ektpt.nxfsnc.net/">プルーフ</a> 

奈良時代初期の渡来人系の陰陽師。「津守連道」とも。持統天皇・草壁皇子に重用され、敵対する大津皇子の密会を公の場で占い暴露した。その後に大津皇子が詠んだ和歌（万葉集・巻2・第108首）、 
< 大津皇子、石川女郎（いしかはのいらつめ）に竊（しぬ）ひ婚（あ）ひたまへる時、津守連通（つもりのむらじとほる）が其の事を占(うら)ひ露はせれば、皇子のよみませる御歌一首 > 『大船（おほぶね）の津守が占（うら）に告（の）らむとは兼ねてを知りて我が二人寝し』 
（大意）:< 大津皇子と石川郎女の密会の事実が、陰陽師の津守連通の占筮で露見した際に、大津皇子が詠んだ一首 > 『大船（密会という目立つ大胆な行動の例え）に乗れば港湾管理者の監視下（「津を守る人の監視」と陰陽師である「津守通」の掛け言葉）のウラ（港が接する「浦」と「占い」の掛け言葉）で見つかるだろうと重々承知の上で、私たち二人は寝たんだよ』 
がよく知られている。 
従五位下・美作守 714年（和銅7年）10月。従五位上 724年（神亀元年）10月。 （続日本紀・巻第九） 
高金蔵（信成） こうきんぞう（しんぜい） ? - ? 
高句麗より帰来。法名は「信成」。 
陰陽師 701年（大宝元年）-723年（養老7年）。従五位下（兼・陰陽頭?）。 
(角彔)兄麻呂 ? - ? 
(角彔)は「角+彔」、別称・「角兄麻呂」。 
陰陽博士 701年（大宝元年） - 727年（神亀4年）？。正六位上 721年（養老5年）。 
王中文（王仲文） おうちゅうぶん ? - ? 
高句麗出身、法名「東楼」。 
天文博士 701年（大宝元年） - 720年代（神亀年間）。正六位上 721年（養老5年）。 
金財（金宅良） 
新羅出身、和名「隆観」、諡「国看連宅良」。 
大宝2年 - 神亀元年。 
文忌寸広麻呂 ふみのいみきひろまろ ? - ? 
漢出身。 
陰陽師 700年代（慶雲年間）。 
池辺史大嶋 ? - ? 
漢出身？。 
漏刻博士 700年代（慶雲年間）。 
山口忌寸田主 やまぐちのいみきたぬし ? - ? 
漢出身。暦道に長けていたため、算術の大家としても有名で、正六位上 721年（養老5年）、天平2年に、算術啓蒙の師として公式に指名されている。 
正六位上 721年（養老5年）。陰陽暦博士 709年（和銅2年） - 730年（天平2年）。 
余秦勝 よのやすかつ ? - ? 
百済の亡命王族の子孫。 
正六位上 721年（養老5年）。 
志我閇連阿彌陀 しがへのむらじあみだ ? - ? 
漢出身。別称「志我閇連阿弥太」。 
従五位下 721年（養老5年）- 723年（養老7年）。 
楢日佐諸君 
漢出身。 
陰陽大属 728年（神亀5年）。 
余真人 よのまひと ? - ? 
百済の亡命王族の子孫。 
養老-神亀年間。従五位下 717年。 
谷那庚受（難波連庚受） やなこうじゅ（なにわのむらじこうじゅ） ? - ? 
高句麗出身。別称「谷那康受」。難波連の姓（かばね）を賜る。 
720年代（神亀年間）。 
礒氏法麻呂 
万葉集に太宰府の梅の花を詠んだ歌が見られる。 
太宰陰陽師 730年（天平2年）。 
難波連吉成 なにわのむらじよしなり ? - ? 
高句麗出身。 
730年（天平2年）-731年（天平3年）。 
高麦太 こうのむぎた ? - ? 
高句麗出身。 
陰陽師 737年（天平9年）-740年（天平12年）。兼 陰陽頭738年（天平10年）。 
余益人（百済朝臣益人） よのますひと （くだらのあそみますひと） ? - ? 
百済の亡命王族の子孫。「百済朝臣」の姓（かばね）を賜る。 
太宰陰陽師 758年（天平宝字2年）-764年（天平宝字8年）。 
山上朝臣船主 やまのうえのあそみふなぬし ? - ? 
延暦年間に陰陽頭を勤めたという記録のほか、782年（延暦元年）には、氷上真人川継（ひかみのまひとかわつぐ）の謀反（氷上川継の乱）に連座して、隠岐介に左遷（実態は流罪）されたとの記録もある（続日本紀）。 
陰陽頭 兼 天文博士 767年（神護景雲元年）-805年（延暦24年）。 
百済公秋麻呂 くだらのきみのあきまろ ? - ? 
百済の亡命王族の子孫。 
陰陽大属 767年（神護景雲元年）。陰陽允 769年（景雲3年）。 
国見連今虫 くにみのむらじいまむし ? - ? 
新羅出身。 
天文博士 767年（神護景雲元年）。 
大津連大浦（大津宿禰大浦） おおつのむらじおおうら（おおつのすくねおおうら） ? - ? 
大津連首の孫とされている。大津皇子（おおつのみこ）の壬生（乳部）であったとの説もある。 
陰陽頭 771年（宝亀2年）-774年（宝亀5年） 
紀朝臣本 きのあそみのかみ ? - ? 
皇族出身。 
陰陽頭? 774年（宝亀5年）-782年（延暦元年）。 
栄井宿祢蓑麻呂 
高句麗出身。別称「日置造蓑麻呂」。 
陰陽頭 747年（天平18年）-783年（延暦2年）。 
高橋朝臣御坂 たかはしのあそみみさか ? - ? 
皇族出身。 
陰陽頭 785年（延暦4年）。 
船連田口 
百済出身。 
陰陽助 781年（天応元年）-784年（延暦3年）。 
藤原刷雄 ふじわらのよしお ? - ? 
752年（天平勝宝4年）藤原清河遣唐使に留学生として随行、陰陽家というよりも禅定家としての性格が強い。帰国後に従五位下に任じられ、「藤原恵美」朝臣の姓を賜った。764年（天平宝字8年）の恵美押勝の乱に連座して隠岐国に流されたが、772年（宝亀3年）に赦免されて再度従五位下「藤原朝臣」を賜って入京を許され、778年（宝亀9年）に従五位上に叙せられた。 
陰陽頭 791年（延暦10年）。 
路三野真人石守 おみぬのまひといそもり ? - ? 
皇族出身とされているが叙せられた官位がおしなべて低目であるため反論も多い。別称「三野真人石守」（みぬのまひといそもり）。 
陰陽助 786年（延暦5年）。 
藤原菅嗣 
陰陽頭 784年（宝亀4年）-791年（延暦10年） 
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         <pubDate>Thu, 02 Apr 2009 17:42:08 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>クフナ・ウルゲンチ</title>
         <description><![CDATA[クフナ・ウルゲンチ（トルクメン語でKöneürgenç、ペルシャ語で??????）は、旧ウルゲンチとも訳出されるトルクメニスタン北東部の都市である。人口は約3万人であり、ウズベキスタンとの国境線に位置する。新ウルゲンチと呼ばれる現在のウルゲンチは、ウズベキスタンの都市となっている。12世紀には、ホラズム・シャー朝の首都として機能していた。2005年に、UNESCOの世界遺産に登録された。

歴史 [編集]
かつて、クフナ・ウルゲンチは、アムダリヤ川沿岸にあり、シルクロードにおける最大の都市であった。クフナ・ウルゲンチの始まりは、はっきりとしていないが、Kyrkmollaの要塞は、ハカーマニシュ朝にまで遡る。

12世紀から13世紀初頭にかけてがクフナ・ウルゲンチの黄金時代であった。中央アジアで、クフナ・ウルゲンチをしのぐ人口を誇った都市はブハラを除いて他になかった。しかし、1221年、チンギス・ハンが中央アジアへの進出を開始して、人類史に類を見ない大虐殺を展開した。

クフナ・ウルゲンチは、チンギスによる虐殺の後に復興を見せることとなるが、1370年代には、アムダリヤ川の流れが北に変わったことにより、自然による都市の破壊が始まった。1370年代には、クフナ・ウルゲンチは放棄され、北には新ウルゲンチと呼ばれる都市が新たに建設されることとなった。時代は既にティムール朝の時代へと変わっていた。

クフナ・ウルゲンチでの最初の考古学の調査が実施されたのは1929年のことであった。

現在のクフナ・ウルゲンチの遺構は、多くが全壊あるいは半壊に近い状況である。今日では、クフナ・ウルゲンチの遺構の中心は、12世紀に建設された3つの小さな廟建築と14世紀に建設されたTurabek-Khanum廟である。後者は、1990年代に大部分が修復された。
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また、クフナ・ウルゲンチで最も高い建築物は、11世紀に建設されたKutlug-Timur Minaretと呼ばれるミナレットである。煉瓦で建設され、高さは、60メートルに及び、アフガニスタンにあるジャームのミナレットと並んで、ミナレットの高さでは世界一を争う。この円錐状の形をしたミナレットは、クフナ・ウルゲンチにおける廟建築でも著名なものは、1172年に死亡したホラズム王イル・アルスラーン（en:Il-Arslan）の廟である。

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         <pubDate>Thu, 19 Mar 2009 14:01:04 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>対戦型格闘ゲーム</title>
         <description><![CDATA[1984年のテクノスジャパンの『空手道』、任天堂の『アーバンチャンピオン』、セガの『アッポー』、1985年のコナミの『イー・アル・カンフー』、1987年のカプコンの『ストリートファイター』など、格闘技を題材とした作品は1980年代から存在したが、1991年のカプコンの『ストリートファイターII』により、複雑な駆け引きのできる対戦を前提としたゲームシステムが完成。この作品の爆発的なヒットにより、1990年代に対戦格闘ゲームは一つの大きなブームを巻き起こした。数々の亜流ゲームが作られた以外に、格闘ゲームを原作とする実写映画やアニメが何本も作られ、1993年に始まったK-1など現実の格闘技人気にも大きく寄与した。また、アーケードゲームとして人気だった格闘ゲームは家庭用ゲーム機に移植され、キラーソフトとして家庭用ゲーム機の普及に大きく貢献した。

対戦格闘ゲームは当初は爆発的ブームであったが、各シリーズの新作とともにシステムも複雑化し、ポリゴン技術による3D化を除いて革新がなかったことも手伝い、徐々にマニア向けなジャンルとなっていった。近年ではカードシステムによる戦績データの閲覧や、アイテムによるプレイヤーキャラクターのカスタマイズなどの蓄積要素を取り入れた。
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 2D対戦格闘ゲーム
ゲームとして2人のキャラが対戦して相手を打ち負かすという形式はファミコンソフトの『アーバンチャンピオン』などから始まったものであるが、1991年に日本においてカプコンの『ストリートファイターII』がアーケードゲームとして登場してから、ジャンプやしゃがみなどの基本行動、攻撃やガード、コマンド入力方式の必殺技などを駆使する形式が確立され、同ジャンル成長のきっかけを生んだ。CPUとの対戦に加え、プレイヤー同士の対戦による駆け引きが人気を呼び、媒体となるマザーボードの改良やゲージ蓄積による上位必殺技、連続技やカウンター攻撃、隠しキャラクターやチームバトルなどゲームシステムの変更も行われ、各地で大会なども開かれ日本以外でも流行となった。『スト?』人気に乗じ、SNKを筆頭にタイトー、ジャレコ、セガなど他社も追随し、2D対戦格闘ゲームは90年代前半?後半にピークを迎えた。しかし、後にカプコンがアーケード向けの対戦格闘ゲーム開発を凍結、SNKの倒産などもあり、ブームは過渡期を迎えることになる。また、このジャンルにおいてSNKのスタッフが雑誌『アルカディア』にて、3D対戦格闘ゲームと比較して剣や魔法の世界などフィクションを採り入れやすい、それゆえにキャラクターを作りやすいジャンルと語っている。

 3D対戦格闘ゲーム
1993年にセガの『バーチャファイター』がアーケードに登場して以降は、ポリゴンで描かれたキャラクターを使用して3次元空間での戦いを表現した格闘ゲームが増加。これによって格闘ゲームに2D、3Dと呼ばれる区別が生まれることとなった。バーチャファイターが独特なシステムを数多く持っていたためか、それ以降の3D対戦格闘ゲームでもバーチャファイターを踏襲したと思われる要素を持つものが多く、その最たるものがしゃがみガードができない中段攻撃の導入（後述）である。中段攻撃自体はバーチャファイターの発明ではないが、大抵の3D対戦格闘ゲームでは、ほとんどのキャラクターに基本技として中段攻撃を持つ。そのため2D対戦型格闘ゲームでありがちな「しゃがみガードをしていれば安定して相手の攻撃を防ぐことができるため、相手の攻撃を凌ぎながらスキを見て反撃する」という待ち状態がなくなったことが大きい。中段攻撃の存在により、状況に応じての立ちガードとしゃがみガードの使い分けや通常技の連携を重視した対戦となり、必殺技を重視したそれまでの2D対戦型格闘ゲームとは全く違うゲーム性となった。ただ3Dグラフィックでも従来の2Dグラフィックのゲームシステムをそのまま踏襲した作品もある。ネットワーク対応及びカードシステムの普及により、近年の作品では海外展開がされなくなったタイトルもある。

勝敗
特にアーケードゲームでは3ラウンド中2ラウンドを先取することで勝利とするラウンド制をとった作品が多いが、乱入したプレイヤーと対戦する場合、5ラウンド中3ラウンドを先取することで勝利とする制度を取り入れたり、一部の作品ではそれに加えて特定の状況下において一つの必殺技を決めることでラウンド先取数と関係なくその場で一方の勝利が確定するというルールの作品もある。

ノックアウト 
そのキャラクターの体力がゲージで表現されており、敵の攻撃に当たるたびにそれが減っていく。体力が尽きてしまうとノックアウトとなり、そのラウンドを落としたことになる。前のラウンドの終了時の状況に関わらず最大値まで体力が回復した状態で次のラウンドが始まるという作品が多いが、『ザ・キング・オブ・ファイターズシリーズ』の様に前のラウンドの結果が反映される作品も存在する。また、一定の条件下において、対戦中でも若干体力を回復できる要素を取り入れた作品もある。 
タイムオーバー 
設定されている制限時間が0になった場合、残っている体力が多い方がラウンドを制したことになる。アーケードゲームでは基本的に制限時間が設定されているが、家庭用ゲーム機への移植作のではオプションで制限時間をなくすことができるのもある。 
リングアウト 
基本的な対戦格闘ゲームではステージの端まで行くとそれ以上は進めなくなっているが、中にはそこから更に進む、あるいは敵に押し出されるなどするとリングアウトとなり、ラウンドを取られてしまうルールのものもある。 
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         <pubDate>Tue, 03 Mar 2009 15:41:57 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>氷室の通報によりストールマン殺害が発覚する</title>
         <description><![CDATA[第二の殺人 
氷室の通報によりストールマン殺害が発覚する。現場に指紋を残してしまった二階堂は、容疑者として指名手配される。逃亡する二階堂だが、ストールマンが殺されたことにより、国璽に対する関心をさらに強める。 
他方、ストールマン殺害の知らせを受け、彼の自宅に駆けつけたまりなは、警官と話し込む源三郎を発見。不審に思い、プリンセス・ホテルまで尾行するが、手違いから二階堂の部屋に侵入してしまう。二階堂と茜の気配を感じ、クローゼットに隠れる。しばらくすると二階堂が何者かと口論を始める。音楽が大音量で流されているため、会話の内容までは聞き取れない。静かになったのでクローゼットから出る。ベッドのシーツをはぐと、首を切り裂かれた二階堂があお向けになっていた。 
事件の真相（第二の殺人） 
二階堂は御堂が大使であることを知っていた。これは、茜をエルディア大使館に向かわせていることからわかる。そして小次郎に対しては、グローバルな見地から絵画の捜索にあたっていると自慢する。原版の捜索は御堂の個人的な依頼でないことをよく理解していたのだ。 
これを利用し、御堂から大金をせしめようとするが、交渉は不調に終わり、前国王に殺害される。前国王が音楽CDをわざわざ持参し、大音量でかけたのは、盗聴を恐れてのことである。なお、この時、二階堂の部屋には茜もいたが、シャワーを浴びていた為、事件には巻き込まれなかった。 
警察の捜査を撹乱するため、二階堂の遺体に金髪を握らせると、前国王は二階堂のかばんを持ち帰り、中身を物色する。国璽は見つからなかった。二階堂が茜に手渡し、隠すよう命じていたからだ。御堂と交渉する時、国璽が手元にあっては危険だろう。御堂はディーブを呼び寄せ、二階堂の身辺を洗うよう命じる。ディーブは、二階堂と茜が共謀していた事実を掴み、彼女を誘拐するのだった（この辺の事情は「第一の殺人」でも述べている）。 
さて、二階堂は御堂を揺すろうとしていたと述べたが、果たして御堂は現場にいたのだろうか。二階堂の部屋を訪れた人物の組み合わせは以下の四通りである。 
A…真弥子　B…真弥子＋御堂　C…前国王　D…前国王＋御堂 
A…真弥子がひとりで二階堂との交渉に臨むはずはないので、誤り。 
B…前国王の意識が眠った状態で二階堂の部屋に赴いたのだとしたら、王位を忌み嫌う真弥子が、御堂と二階堂のやり取りを日記に残すはずである。しかし、それらしき記述は彼女の日記に存在しない。また、真弥子はこの日、夕方まで授業を受ける予定であり、授業を放棄してまで御堂に同行する理由がない（二階堂が殺されたのは昼過ぎ）。よって、誤り。 
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CもしくはDが正解となる。 
ちなみに、「EVE burst error オフィシャルガイド」（アスキー発行）によると、二階堂は御堂とディーブを天秤にかけた為に殺されたことになっているが、同誌は、脚本を担当した「剣乃ゆきひろ」がエルフに移籍した後に発行されたものであり、信憑性に乏しい。実際、同誌の記述には明らかな誤りがある（μ-101は完成してから二年で崩壊した、という部分）。

廃墟にて 
一度はストールマンの自白を偽りと決め付けたディーブだが、御堂からの連絡を受け、二階堂が国璽を盗んでいたことを知ると（第一の殺人を参照）、茜を捕らえ、国璽のありかを吐かせる。国璽を収めたカメラは、小次郎の事務所にあった。ディーブは小次郎のもとに電話をかけ、プリンセス・ホテルにおびき出すと、事務所へ行きカメラを盗み出した。これにより、ストールマンの供述が真実であることを知り、エール外国人学校へ向かう。一方の国璽を自宅に隠したという証言が事実なら、もう一方を学校に隠したという証言も事実となるからだ。しかし、学校のディレクタールームに国璽はなかった。 
小次郎が二階堂や茜と共謀していたと信じるディーブは、グレンを利用して小次郎を捕縛すると、ディレクタールームに隠されていた国璽の行方を尋ねる。心当たりなどかけらもない小次郎だったが、茜を助けるため、二階堂が御堂に雇われていたことを教える。 
プリンセス・ホテルの攻防 
御堂に不信感を抱いたディーブは、プリンセス・ホテルに御堂を呼び出すと、小次郎から得た情報を突きつける。劣勢に立たされた御堂は弁明を試みる。笑って許すディーブだが、部屋のガラスが何者かに割られる。驚愕したディーブは銃を撃ち、護衛を呼び寄せる。隣の部屋で盗聴していたまりなが現場に踏み込む。護衛ふたりは銃を抜く暇もなく殺されていた。他にひとはいない。電話が鳴り、受話器を取ると、何者かに後頭部を殴られ気絶する。 
事件の真相（プリンセス・ホテルの攻防） 
護衛を殺害したのは前国王だが、彼は、いつ、どのようにして現場に現れたのだろうか。ガラスが割られた後にディーブが護衛を呼び寄せていることを考えると、御堂とディーブが会話している最中に、外から侵入したという推測が成り立つ。しかし、これは誤りである。部屋のガラスは内側から割られていた。前国王は初めから部屋にいたのだ。実際ディーブは、御堂になにかを勧めたあと、御堂に付き添っている人物にもそれを勧めている（おそらく飲み物）。しかし、この人物はディーブの勧めを断る。御堂とディーブの間に漂う異様な雰囲気に緊張していたのだろう。つまり、この時、前国王の意識はまだ眠っていたのだ。 
そして、前国王が目覚める。ディーブが驚愕したのは、前国王の指令を受けてはいても、真弥子＝前国王であることまでは知らなかったからだと推測される。この辺の事情については「第三の殺人」で詳しく述べる。 
目覚めた前国王は、ディーブにナイフをちらつかせ、危害を加える意思を見せる。恐れをなしたディーブは銃を撃ち、護衛を呼ぶと、自分はどこかに隠れる。前国王が護衛だけを殺して逃走したのは、ディーブをトリスタン号に追い込むためだ。この日の昼、前国王がトリスタン号でディーブを殺害するつもりであることを、御堂がアクアに伝えている。なぜトリスタン号なのか。詳細は不明である。 
護衛を殺す前にガラスを割ったのは、殺したあと、現場から素早く立ち去るためだろう。脱出に手間取っていたら、銃を持ったディーブに背後から撃たれてしまう。あるいは、御堂だけが現場からいち早く逃げたのかもしれない。 
こうしてもぬけの殻になった部屋にまりなが踏み込むわけだが、隠れていたディーブに襲われ、気絶するのであった。 
第三の殺人 
トリスタン号の一室に監禁されたまりなの前に、ディーブが現れる。御堂に裏切られたことを知ったディーブは、まりなを人質に取って逃亡するつもりだった。ディーブと入れ替わる形でまりなの部屋にやって来たアクアは、まりなの拘束を解くと、トリスタン号から逃げるよう忠告し、どこかへと去る。自由の身となったまりながある船室で発見したのは、首を切り裂かれ絶命したディーブだった。 
事件の真相（第三の殺人） 
国璽が手元にあるうちは安全だと信じていたディーブだが、前国王の手によって処刑される。ストールマン宅に隠されていた国璽は、この時、前国王の物となる。 
前国王は、自分の配下であるディーブをなぜ殺したのだろうか。御堂がディーブとは別に二階堂を雇い、ディーブの裏をかこうとしたことから、ディーブは前国王の信頼を得ていなかったことがわかる。御堂と違い、前国王に対する信仰心を持たないためだ。仮に持っていたら、前国王に対して発砲するはずがない。 
プリンセス・ホテルで覚醒した前国王を見てディーブが驚くのも、上記の事情と関連する。前国王が再び即位するにあたって最も重要なのは、「真弥子＝前国王」を反王権派に悟られないことである。いつ裏切るかわからない者に、真弥子の秘密を教えられるはずがない。つまりディーブは、「真弥子を即位させ、エルディアを影から操る」ことが前国王の狙いであると信じていたのだ。 
こう考えると、ディーブの目的も自然と見えてくる。国璽を集め、真弥子の即位を実現させたのち、前国王と御堂を切り捨てることで、ディーブはエルディアの影の支配者になろうとしたのだ。御堂とディーブの思惑が異なっていることは、トリスタン号におけるディーブの台詞から容易に察せられる。 
しかし、前国王に先手を打たれてしまい、他界することになった。 
覚醒 
ストールマンがプリシアにかけた暗示は、ある詩の一節を彼女に読み聞かせることで解除される。元々はストールマンがこれを行う予定だったと思われるが、彼は保険として、詩を書き写した紙をシリアに保管させた。また、プリンセス・ホテルの1420号室にも同様のプレートを残し、不測の事態に備えた。 
次期女王「プリシア」の侍女である「プリン」は、旧エルディア情報部に懸賞金をかけられていた。「プリシア」に関する情報を握っていると見なされた為だ。御堂は「プリン」を発見すると、保護という名目で大使館に置きとめる。御堂が「プリン＝プリシア」に気付いていなかったことは、「プリシア」と連絡を取るよう「プリン」に指示していることからわかる。 
12月6日の夕方、大使館で騒ぎが起こる。守衛によると、男女ふたり組の賊が侵入したのだという。「プリン」はこれに乗じて大使館から脱出し、小次郎のもとへ帰る。男女ふたり組の賊とは、もちろん源三郎とシリアである。シリアは前日、「プリン」が失踪したことを小次郎から聞かされている。源三郎と共同で捜索にあたっていたのだろう。 
ストールマンが殺害されたことにより行き場を失った「プリン」は、小次郎と共にプリンセス・ホテルの1420号室へ向かうことになる。この部屋にはエルディアの次期女王が滞在しているはずだった。といっても、「プリン」にはいまだ懸賞金が掛けられている。彼女の身の安全を確保するため、なんらかの手を打つ必要があった。小次郎はグレンに電話をかけ、自分が「プリン」を保護したことを伝えると、「プリン」はもう捕まったという偽の情報を賞金稼ぎの間に流すよう指示する。 
プレートに書かれた詩をプリンセス・ホテルで読み、目覚めるプリシアだが、ディーブの襲撃を受けてしまう。ディーブからも雇われていたグレンが、小次郎と「プリン」の動向をディーブに伝えていた為だ。プリシアは現場から脱出し、弥生に保護を求める。襲撃の詳しい事情は「廃墟にて」を参照。 
再会 
源三郎の尽力によりディーブの魔手から救われた小次郎は、源三郎から国璽の片割れを受け取る。ディーブが捜し求めていた、ディレクタールームの国璽だ。12月4日の夜に入手したとみられる。ストールマンは万が一に備え、国璽の隠し場所を源三郎に伝えていたのだろう。Cプロジェクトの後始末をつけると言い残し、源三郎は去る。 
幻覚 
ディーブに捕らわれた際に打たれた自白剤を中和するため、源三郎からもらった解毒剤を飲む小次郎だが、解毒剤には強烈な副作用があり、数時間に渡って幻覚を見ることになる。死んだはずのストールマンや二階堂が目の前に現れ、一連の事件について語る。彼らの「証言」は信用に値するのだろうか。正しい部分もあれば間違っている部分もある、というのが答えである。二階堂の証言を例に取ると、「テラーに殺された」というくだりは真実だが、「御堂に国璽を買い取ってもらった」というのは明らかな誤りである。よって、この時に得られた「証言」を考察の対象にすることはためらわれる。 
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         <pubDate>Thu, 12 Feb 2009 14:13:06 +0900</pubDate>
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         <title>モイセイ・ヴァインベルク</title>
         <description><![CDATA[モイセイ・ヴァインベルク（またはミェチスワフ・ヴァインベルク）（Moisey Samuilovich VainbergまたはMieczyslaw Weinberg ,1919年12月8日 - 1996年2月26日）は、ロシアの作曲家。

ポーランドの首都ワルシャワのユダヤ人の家庭にミエチスワフ・ヴァインベルク (Mieczyslaw Weinberg) として生まれる。ワルシャワ音楽院で学ぶが、1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻のため、ソヴィエト連邦に亡命。名前をロシア風にモイセイ・ヴァインベルクと改める。ソ連ではドミートリイ・ショスタコーヴィチと親交を結ぶ。しかしスターリンの反ユダヤキャンペーンで1953年に逮捕されるなど、苦難の生涯であった。
ヴァインベルクにはさまざまな氏名があるため、多くの混乱が生じている。生まれた時はポーランド語で「ミエチスワフ・ヴァインベルク Mieczyslaw Weinberg」であり、姓はドイツ語に由来している。ソ連邦に移ってからは「モイセイ・サムイロヴィチ Moisey Samuilovich」というロシア語の名をつけ、またそこでは「Metek」というあだ名でも知られていた。また「モイシェ Moishe」という名前をソ連のイディッシュ語出版物で使い続けた。ロシアでは彼の名前は当然キリル文字で表記される。それをラテン文字に転写し直すと、「Vainberg」や「Vaynberg」など様々な綴りが生じるのである。ちなみに本来の綴りはグローブ世界音楽大事典の最新版に採用されている。

生涯
1919年にワルシャワでユダヤ人の家族に生まれた。父のシュミイル Shmil（またはシュミエル Shmuel）はワルシャワのイディッシュ劇場でヴァイオリン奏者や指揮者を務めていた。家族は元々ベッサラビア出身で、反ユダヤ主義による暴力行為の犠牲者であった（1903年にキシナウで起こったポグロム（大虐殺）で曽祖父も祖父も殺されている）。12歳の時、ワルシャワ音楽院でピアノを学び、1939年に卒業する。第二次世界大戦が勃発するとソビエトに亡命（親と妹はワルシャワに残り、Trawniki強制収容所で命を落とした）。ミンスクで過ごし、初めて作曲を学ぶ。その後、タシュケントに移りオペラを書いた。そして、俳優ソロモン・ミホエリスの娘と結婚した。

1943年、ショスタコーヴィチに請われてモスクワに移る。ショスタコーヴィチはヴァインベルクの才能に感心し、親交を深めた。当時まだ若かったヴァインベルクはショスタコーヴィチに多大な影響を受け、後に「生まれ変わったようであった」と語っている。

ミホエリスは1948年にスターリンの戦後の反ユダヤ主義運動の一環として殺される。ヴァインベルクのいくつかの作品は1948年のジダーノフ批判で禁止になり、映画音楽やサーカス音楽の作曲で生計を立てざるを得なくなった。ヴァインベルクは1953年2月に逮捕される。ショスタコーヴィチはラヴレンティ・ベリヤにヴァインベルクの為に仲裁するようにと手紙を書き、またヴァインベルクの妻も逮捕された場合、彼の娘の面倒を見るよう頼んだ。結局のところ、ヴァインベルクは翌月のスターリンの死に救われ、それから間もなく公式に名誉回復がなされた。
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その後は作曲とピアノ演奏をしながらモスクワに住み続ける。ショスタコーヴィチとは家が近く、毎日作曲のアイディアを分かち合っていた。ヴァインベルクの作品は、ショスタコーヴィチがしばしば称賛しただけでなく、エミール・ギレリス、レオニード・コーガン、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、クルト・ザンデルリングなどのロシア随一の演奏家にも取り上げられた。

晩年、ヴァインベルクはクローン病にかかり寝たきりの状態になったが、作曲を続けた。1996年1月3日に正教会に改宗し、その直後の2月26日に死去した。

作品
主な作品には、20曲の交響曲（番号付き交響曲19曲+第19番の後に書かれた番号のない交響曲「カディッシュ」）、他の管弦楽曲（室内交響曲4曲とシンフォニエッタ2曲を含む）、17の弦楽四重奏曲、8つのヴァイオリンソナタ（3つはソロ、5つはピアノを含む）、チェロの為の24の前奏曲、6つのチェロソナタ（4つはソロ、2つはピアノを含む）、6つのピアノソナタ、他の器楽曲、そして多くの映画音楽がある。7つのオペラを書き、そのうち「パサジルカ Passazhirka」（1967-68年）はその中で最も重要な作品とされている。ピアノ五重奏曲やピアノ三重奏曲およびチェロ曲は、最近ではヨーロッパからアメリカのコンサートや音楽祭で演奏されるようになった。イギリスのレコード会社オリンピア・レーベルは15以上のCDを発売している。その音源は、メロディア・レーベルのLPからのリマスタリングと、オリンピア社の独自録音の両方が混じっている。

ヴァインベルクは、しばしば標題的要素の強い音楽を作曲した。生涯を通じて、ワルシャワ時代の人間形成期や、青年期に終止符を打った戦争を思い返すことが常であった。彼の番号付き交響曲の最後の3曲（第17番「記憶」、第18番「戦争、これより惨い言葉はない」、第19番「輝かしき五月」）は、アンナ・アフマートヴァの詩に基づいた「戦争三部作」となっている。このような暗黒的要素は、カタルシスを経て平和を発見する背景として用いられていることもある。ただし全ての作品が平和に到達して終わるわけではなく、また表向きの平和の裏に不安や疑念、皮肉のような複雑な表情を漂わせるものも多い。こうした調和への憧れは、ヴァインベルクの音楽様式においても表れていおり、リュドミラ・ニキーティナはヴァインベルクの作品について、「新古典主義的でいかにも合理主義者らしい明晰さと均斉感」と強調したが、これは彼の一面を表した言葉に過ぎない。

ヴァインベルクはショスタコーヴィチに正式には学ばなかったが、影響を受けていたのは明らかである。はっきりとした両者のつながりのひとつが、「交響曲第5番」終結部
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         <pubDate>Mon, 26 Jan 2009 16:51:04 +0900</pubDate>
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